3331アンデパンダン展 講評会ゲストによる選評

2011年秋に開催された千代田芸術祭2011の展示部門「3331アンデパンダン」にて、講評会ゲストによる選評を掲載します。この選評では、特別賞として各ゲストの方より選ばれた作品へ贈られる審査員賞の選考理由の他に、3331アンデパンダン展講評会へご参加頂いた所感も書いて頂いている方もいらっしゃいます。 予定時間をオーバーしましたが、講評を希望した一作品一作品に対して作者から丁寧に聞き取り、対話をした8名のゲストの皆さんです。是非ご覧ください!

この後、選出された審査員賞受賞者は、3331にて展覧会を行います。(日程調整中)

<講評会実施日>
2011年9月10日(土) 13:00~18:00(予定より1時間延長)
ゲストA組/椹木野衣さん、立花文穂さん
ゲストB組/八谷和彦さん、中村政人さん

2011年9月11日(日) 13:00~18:00(予定より1時間延長)
ゲストA組/五十嵐太郎さん、O JUNさん
ゲストB組/四方幸子さん、松蔭浩之さん

椹木野衣 賞:Sonopuro-Nopuro「モッサペラドの住人達」

Sonopuro-Nopuro「モッサペラドの住人達」

椹木野衣

選評:椹木野衣(美術評論)
ぬいぐるみを使った作品は、欧米で1990年代初頭ころから増え始めた。米国西海岸の美術家マイク・ケリーの作品が、ロック・バンド、ソニック・ユースのCDジャケットに使われたことでも、広く知られるようになった。そうこうするうち、日本でも同傾向の作品がチラホラ見られるようになった。本作も、基本的にはこの流れの中に位置づけられるだろう。が、ここでは、すべてのキャラクターが来歴と固有名、そして特定の役割を持っている。この複合彫刻は、これらの諸要素がひとつの場に圧縮された、いわば物語の氷結状態なのだ。解凍すれば、様々な場面をつむぎ出し始めることだろう。美術だけでなく、マンガ、アニメ、グッズ、ゲームと、その触手を様々な場に延ばすこともできそうだ。その潜在的な未知の可能性とあわせて評価する。



立花文穂 賞:Akane I「▼」

立花文穂 賞:Akane I「▼」

立花文穂

選評:立花文穂(アーティスト、グラフィックデザイナー)
▼いまの美術とかアートとかどおでもええんじゃいっ!くらいのかんじのものが見あたらなかったのがざんねんなかんじ。
▼デザインとかアートとか商売とかいう線引き抜きで制作に向かうかんじの「できちゃった」かんじが見たかった。
▼ダッテアンデパンダンデショ。
▼は、だれにも気づいてもらえない目立たないかんじが好きでした。主張とかメッセージとかよりも、本人のかんじがそんなかんじなんでしょう。
▼だけど、もしかしたらそういうかんじがイマノアンデパンダンカモネ。
▼最後まで気になりました。
△(おにぎり)も気になったけどね。
▼そんなかんじです。



中村政人 賞:木森恵子「citta」

中村政人 賞:木森恵子「citta」

中村政人

選評:中村政人(アーティスト、3331統括ディレクター)
アンデパンダン展の熱気に包また色鮮やかな作品群の中で、特別な主張もコンセプチュアルなバイアスもなくじっとりと存在している木森恵子さんの作品が最後まで気になった。カメラを構えその空間に介在することでの気配の揺れや、空間の肌理の変化、焼き付き定着してしまう残像と消像。カメラを構え見え始めることへの作者の日常的な視点に共感する。時代に乗るための写真とは異なる写真力を感じる。



八谷和彦 賞:伊藤大朗「untitled -The blunder of the superior authorities-」

八谷和彦 賞:伊藤大朗「untitled -The blunder of the superior authorities-」

八谷和彦

選評:八谷和彦(メディア・アーティスト)
実は、一度は決めていた受賞作を変更しました。最初は「観客視線で面白いと思った作品」にするつもりで選考していたのですが、一晩たって「来年展覧会をやってもらいたい(やれるであろう)作品」に変更しました。実際には良いと思った作品はそれより多くて、「もし売ってたら買いたい賞」「これの続きが見たい賞」「大きいのを展示して欲しい賞」など出したい位で、アンデパンダン展作品を審査する難しさを感じました。一方観客としてはこのバラバラさをかなり楽しませていただいた感もあります。受賞作家の皆さんは、来年の展示よろしくお願いします。そしてエントリーしていただいた皆様、またどこかで作品を拝見させていただくのを楽しみにしています。



五十嵐太郎 賞:山田はるか「ヘルタースケルター」

五十嵐太郎 賞:山田はるか「ヘルタースケルター」

五十嵐太郎

選評:五十嵐太郎(建築評論)
ここまで異種格闘技的な場は、キリンアートアワードの審査を担当して以来の刺激的な体験である。今回は受賞者のグループ展を開催するということで、もっと多くの作品を見たいと思う作家を選ぶことにした。「ヘルタスケルター」を出品した山田はるかである。最初に見たときは展示物を触ってはいけないと感じ、なぜ岡崎京子の漫画を置いてあるのか訝しく思い、二度目の訪問時にようやく開いた。そして執拗なまでに劇中の主人公になりきる作業に驚かされた。講評を担当した作品ではなかったが、HPを参照すると、ジェンダーを軸にしたさまざまな制作をしており、さらなる展開の可能性を感じたことが、山田はるかを選んだ理由である。



O JUN 賞:水戸部七絵「ミラ・ジョボビッチとダラスのキスシーン」

O JUN 賞:水戸部七絵「ミラ・ジョボビッチとダラスのキスシーン」

O JUN

選評:O JUN(画家)
最近、若い人の展覧会や大学の講評などでよく目にする作品の特徴。図像のキャラクター化やアイコンのバラ撒き。モノガタリ名人、ドローイング達人の隆盛。これにはきっと何かワケがあるのだろうが、もろもろワケや事情に付き合いが良すぎて肝心の絵力が及ばない。この画家は、野蛮な筆と馬鹿馬鹿しいまでの絵具の濫費を以て、描きの起こりやコトの顛末、挙句、平面の無慈悲と淡々と向き合っている。画家はこのように絵力を養っている。素朴でやや稚拙とも見えるこの向かい合いの道行は実はなかなか険しく遠回りを予感させるのだが、それは仕方がない。この画家は、絵を描こうとしているのだから。ただ、Milla Jovovichの鼻の穴の位置はこれでよいのか?



四方幸子 賞:三木麻郁「a little sealed night」

四方幸子 賞:三木麻郁「a little sealed night」

四方幸子

選評:四方幸子(メディアアート・キュレーター)
製本ミスで一部が綴じられた「銀河鉄道の夜」のページをもつ本との、書店での幸福な出会い(とそれを発見し活用する力)から始まるこのインスタレーションでは、世界の可視・可読性に依存する「リアリティ」と、不可視・不可読的であっても発動しうる「リアリティ」の接合可能性が扱われている。楽譜に見立てられた本の、綴じられて読めないページ(存在しながらも不可視のテキスト)を含んだ裏のページは、テキストが削り取られ、薄くささくれた表面の一部が破れて内側を微かに露出させている(紙という支持体の露出と立体性の獲得)。隠れたページのテキストは、点字へと変換され、巻きテープに印刷され壁にかかっている。(立体性がないため視覚障害者には読み取れず、点字を読めないものには視覚的パターンでしかない)。可視化されたものや言語やコードという記号としての世界に眼を向け、視覚性や物質性を超えてコードを変換すること。それによってこの作品は、諸コードに脱臼を起こさせ、世界の見方やリアリティの行方を私たちに密やかに問いかけている。



松蔭浩之 賞:川瀬知代「loop」

松蔭浩之 賞:川瀬知代「loop」

松蔭浩之

選評:松蔭浩之(現代美術家/写真家)
一見愉楽的で可愛らしいドローイングを、松蔭浩之が選出することを意外に思うかも知れない。しかし本作から私は、描き続ける気力と体力にあふれた「絵描き」を発見し、端的に清々しい気持ちになった。山や自然を尊敬するという彼女の空想から生まれでた、ビビッドな花や虫たちは眩しく、サイケデリックでもあり、ネイチャー系というよりむしろ人工的にも見え、さらには毒々しく攻撃的にも映り痛快だ。電力もハイテクも必要としない強さ。決して新しい試みではないが、アップデイト可能な切り絵の配置という方法も功を奏した。森羅万象をしたたかに観察する視力、創作に実直に取っ組み合おうとする大きな「覚悟」。この人と私の直感を信じることに決めた。



オーディエンス 賞:Hi!LEG「有名になりたいプロジェクト」

オーディエンス 賞:Hi!LEG「有名になりたいプロジェクト」

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