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おどりのば 講評会ゲストによる選評

昨年に続き2度目の開催となる「おどりのば」は、ジャンルにとらわれない自由な身体表現を実現する場をめざしたステージ部門です。今回のゲスト審査員によるスカラシップ選評を掲載いたします。2012年の参加者の中には、インド舞踊をより多くの方に知ってもらいたいという想いをもって参加された方、日本の伝統舞踊を披露したいという方、果てはスカラシップを受賞して3331 を会場に大きなパーティーを開きたいという方など、さまざまな目的を持ったパフォーマーたちが参加し、多ジャンルの作品が演じられました。今回のスカラシップ受賞者の2組には、2013年9月までの間の30日間、2階体育館を稽古場としてお貸しいたします。また同年に、3331を舞台にスカラシップ受賞者による自主公演を実施予定です。ご期待ください。

<講評会実施日>
2012年9月29日(土) 13:00~16:00
ゲスト審査員/佐々木敦さん、長島確さん

2012年9月30日(日) 13:00~16:00
ゲスト審査員/伊藤キムさん、小沢康夫さん

佐々木敦&長島確 賞:鳥公園「待つこと、こらえること」


佐々木敦(批評家)

選評:佐々木敦(批評家)
こういうノンジャンルのコンペティションは、とても面白い試みだと思います。しかし想像していた以上にヴァラエティに富んでいたので、選考にはかなり苦労しました。鳥公園は完成度とチャームにおいて際立っていたと思いますが、一点難があるならば、ほぼ不動のまま、台詞のやりとりだけで演じられるこの作品が、「おどりのば」という選考の場で勝ち残ることに相応しいのかどうか、ということでした。しかし長島さんとも相談した末、より「おどり」的なエントリで今回は鳥公園のポテンシャルを超える作品がないのでは、ということになり、彼女たちに決まったというわけです。3331という場所を如何に使うか、という点では、言うまでもなく大橋可也&ダンサーズが群を抜いていました。あれは狡い(笑)。個人的にはカワムラアツノリの(口頭でも言いましたが)「久々に観れたちゃんとしたちゃんとしてないダンス」と、政岡由衣子の動いてる時よりも挙動が静止した瞬間に醸し出されるトーンに魅力を感じました。


長島確(ドラマトゥルク)

選評:長島確(ドラマトゥルク)
「おどりのば」といってもダンスに限らずいろんなジャンル/スタイルがあって、その混在ぶりがとても面白かったです。演劇的なもの、インド舞踊、居合まで含まれており、ショーケース的な場としての価値が(やる側・観る側双方に)じつはとても大きかったと思います。とはいえそういう「何でもあり」の場で、何を、どれくらい自覚的に、見せてくるか。最短の5分といえど思いつきだけではもたないし、技術だけでももったいないので、狙い所のハードルはなかなか高いと思います。スカラシップに選んだ鳥公園の作品は、ほとんど不動のまま進行していく2人の会話からできていましたが、ことばがループし始めると不思議なグルーブが生まれ、こんな形でおどれるのかとクラクラしました。引きつける力、ユーモア、(どうすれば成立するかという)計算高さも素晴らしかったです。来年の公演の権利が、つくり手・場所の両方にとって、よい負荷のかかるチャレンジになることを願っています。


伊藤キム&小沢康夫 賞:小嶋一郎 振付「No pushing」


伊藤キム( 振付家、ダンサー)

選評:伊藤キム( 振付家、ダンサー)
全体的にまずまずのレベルだったのではないかと思う。自分探しを思わせる「個」的なもの、脳みそ先行のコンセプチュアルなもの、何も考えていなさそうな能天気なもの、身体テクニックと身近なテーマを掛け合わせたダンスコンクール的なもの、観客を楽しませるエンターテインメントなもの、まあいろいろあったけど、みなそれぞれにそれなりの「自覚」のようなものがあった気がする。自覚とは「自分がやりたいことをそのまま提示するのではなく『商品』として付加価値が必要だと理解している」という意味。若手支援のプログラムだから、ちゃんとした商品である必要はない。でも作り手がそこに気づいているかどうかは重要だ(正直、その点で不安な人も若干いたけど)。
ただ、自覚の先にある「覚悟」まであったかは、わからない。本物の作り手には、退路を断つ覚悟が必要。逃げてはいけない。
周りの雑音が聞こえたり、窓ガラスから外の風景が見えたり、ダンスの上演・審査をする空間としてははなはだ不完全な状況だったが、参加者の緊張をほぐすという点では逆にふさわしい空間だったのかもしれない。
一緒に審査した小沢さんとは、コメントの出し方も審査の成り行きも、けっこういい感じで進められたのでは、と思う。


小沢康夫(日本パフォーマンス/アート研究所、プロデューサー)

選評:小沢康夫(日本パフォーマンス/アート研究所、プロデューサー)
ここ数年、「日本」の「コンテンポラリー・ダンス」というものに対する興味がすっかり薄れてしまい、以前のように頻繁に観劇することがなくなってしまいました。しかし、今回の企画にお声をかけていただき13作品を集中して観ることにより「今、表現するということはいったいどういうことなのか?」という素朴な問いを捉え直す、いいチャンスを与えてもらったのではないかと思っています。これから世の中に打って出ようという若者達は、「何故身体を使って表現するのか」、もしくは「しなくてはならないのか」、「何を表現するのか」、「するべきなのか」、ということをもう一度考えることから始めるべきでしょう。今、我々を取り巻く状況はあらゆる意味で危機的であるといっても大げさではないと思います。そのような中で小嶋一郎さんの『No Pushing』だけは私の胸に突き刺さってきました。次の作品を見てみたいと思わせてくれたモノでした。しかし、それが成功するのか失敗するのかどちらに転ぶか判らない危うさも内包しており、そのことが尚更私が小嶋さんを押す理由になったのです。コンテンポラリー・ダンスは言うならば既得権益のための身体の「ディシプリン」(規律訓練)から逃れ、マイナーな身体作りの権利をどうやって取り戻すのか、奪い返すのか、という極めて闘争的な芸術ではないかと捉えています。つまりそこには身体技法のイニシアチブを巡る闘いがあるのです。その踊る身体の軌跡が我々の社会をオルタナティブな新しい共同体へ再構築させるきっかけになるはずです。それはもうお習い事のレベルを遥かに超えた身体を通した形而上学、哲学なのではないでしょうか。そう考えれば、これは一生を賭けるに値する仕事になるかもしれません。多分、経済的にはそれほど裕福でいられることはないでしょう。ただし、あなた達の仕事はそれほどまでに人間社会に多大な影響を及ぼすモノだということを決して忘れないで欲しいと思っています。